今年の歌会始は、14日10時30分からのNHKテレビ中継と後半は録画でみたことになる。相変わらず寂しい男子皇族方の席には皇太子と秋篠宮の2名だった。皇太子妃の不参加も毎年のこととなった。各界から選ばれるという陪聴者は84人との解説だったが、最前列には政治家が並ぶ。歌人はそのうち何人くらいか。いずれにしても一番の大所帯になっている。10首の入選歌の中には、10代の女子中学生・高校生の作品のほかにも口語でありながら「旧仮名遣い」があり、年配の方の作品の中にも口語と文語が入り混じって「旧仮名遣い」が使われていて、なんとなく落ち着かなかった。応募要項には、「定型」との要件はあるが、口語・文語、仮名遣いには触れていない。ということは、入選の作者はすべて「旧仮名遣い」だったのだろうか。私自身、文法に目くじら立てる方ではないのだけれど、いいのかなァと。
〇最年少の女子中学生の歌
この本に全てがつまつてるわけぢやないだから私が続きを生きる
〇女子高校生の歌
暑い夏坂を下ればあの本のあの子みたいに君はゐるのか
それはともかく、日本国憲法を守ろうという人たちも、日本の皇室制度、天皇制については、誰も何も言わなくなってしまったのではないか。メディアに登場する革新的、リベラルという政治家や評論家、研究者も、皇族の話になると、急に言葉をあらためて敬語を使ったり、天皇や皇后の心情を慮って、その言動に心を寄せるたりする。これって、天皇の政治利用ではないのかしら。逆に、政治的発言や活動がまったく封じられた生活が強いられる「人々」を前提とする制度自体が問題なはずなのに、そこまで言及されることはめったにない。
歌会始は、皇室と短歌が政治的に利用される一場面であり、したたかな歌人たちが皇室の権威を利用しているという側面をも見せているのではないか。
参考までに、今年の作品と応募歌数の推移は宮内庁ホームページ内の以下で見ることができる。
「平成27年御製御歌及び詠進歌」
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h27.pdf
「最近のお題と詠進歌数等」
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/eishinkasu.html