『現代短歌』9月号の〈提言・2015年夏・今歌人として考えること〉は、必ずしも「戦後七十年」特集とは言えないかもしれないが、私にも寄稿のチャンスをいただいた。また、『短歌往来』10月号「評論月評」においては、岩内敏行氏より、上記拙稿について、過分のご紹介をいただいた。歌壇とは縁が薄く、このブログの短歌関係記事を含め、いつも心細い思いをしながら執筆しているだけに、ありがたいことだった。 とりあえず、拙稿をここに収録し、あわせて、末尾に、短歌ジャーナリズムの戦後七十年特集をピックアップしておいたので、参照されたい。
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一歩を踏み出す
この七月一二日、シンポジウム「沖縄戦後七〇年・基地問題とジャーナリズム」が東京で開かれた。パネリスト、テレビキャスターの金平茂紀氏は、沖縄慰霊の日の安倍首相の挨拶への野次に触れ、野次のみを消したかのような、その日のNHK報道は、「政治部」記者の「自発的隷属」に起因するとした。辺野古基地建設に抵抗する人々を撮り続けている影山あい子氏は、海上保安庁による暴力的制圧のすさまじさを映像で伝えた。『沖縄タイムス』東京支社の宮城栄作氏からは、これまでの沖縄二紙への政府の懐柔策や圧力、昨年の石垣市長選の折の防衛大臣による新聞協会と『琉球新報』への露骨な報道規制が詳細に語られた。
戦後短歌史の出発時において、歌人たちは、自らの戦争責任について、明確には克服できないまま、一九六〇年、一九七〇年をむかえた。高度経済成長と情報化社会の波に乗り、「前衛歌人」や「反体制歌人」も輩出されたが、作歌を止めたり、歌壇から消えたりした歌人もいたなかで、前衛でも反体制でもない、たんなる「有名歌人」として生き延びた歌人が大方であった。短歌ジャーナリズムは、発行者や編集方針が変わると、急速に保守化していった。さらに、マス・メディアは、短歌の文学性より、歌人や短歌愛好者の消費行動に着目、新聞社やNHKは「歌壇」を拡充し、カルチャーセンターには短歌講座が増えた。出版社は、短歌紙誌を発行し、自費出版の歌集が氾濫した。歌人団体や政府・自治体もイベントや賞を通じて短歌の普及と大衆化を進めた。しかし、それは、同時に、公権力による歌会始や褒章という制度によって権威づけが図られ、国家権力の文芸への介入を容易にし、無意識のうちに自粛や萎縮が助長されるようにもなった。現在は、短歌人口の高齢化にともない、短歌結社の後継者や若手歌人を育てることを急ぐあまり、主題の在り方や感性の細やかさよりも思いつきや表現技術の微細への評価が先行する傾向にある。
そして迎えた戦後七〇年、政権は、さまざまな破綻を抱えながら、さらにそれを増幅し、大きく国のありようを変えようとしている。歌人や歌壇、短歌ジャーナリズムの概ねは、四年半を経た東日本大震災に対しては、やや情緒的な側面を見せながらも、原発事故を含めた被災地と被災者からの発信を促し続けてきた。一方、昨年の沖縄県知事選挙、総選挙の結果を踏まえ、沖縄からの発信は、にわかに注目されるところとなったが、この七〇年間、歌人や短歌ジャーナリズムは沖縄とどう向き合ってきただろうか。
一九八九年創刊の『短歌往来』は、一九九九年七月〈オキナワの歌〉、二〇〇六年七月〈沖縄のアイデンティティ~辺境からの闘い〉、二〇一三年八月〈歌の力 沖縄の声〉、二〇一四年八月〈沖縄の食と風物〉という特集で、沖縄在住歌人の作品を中心に、沖縄の声と現況を伝えた。日常的にも「沖縄の文化を辿る」(平山良明)の長期連載や沖縄在住歌人の歌集なども積極的に取り上げた。一九八七年創刊の『歌壇』は、二〇〇〇年四月〈沖縄歌人作品〉、同年八月〈戦後55年を詠う新たな出発として~六月の譜〉、今年六月〈戦後七十年 沖縄の歌~六月の譜〉の特集を組む。二誌のこれらの発信は、重く、貴重なものだった。
一方、『短歌研究』『短歌』の沖縄への関心をたどれば、一九五〇年代にさかのぼる。一九五四年四月創刊の『短歌』は、中野菊夫の「祖国の声」(一九五五年四月)、「沖縄の歌」(一九五六年一二月)を載せた。それに先立つ一九五三年『沖縄タイムス』は「九年母短歌会」同人たちの作品を数か月にわたって紹介したが、本土には届かない沖縄の声であった。さらに、『短歌』では、一九六〇年九月〈オキナワと沖縄の短歌〉特集を組む。一九五七年八月『短歌研究』の〈日本の傷痕〉特集の「基地・沖縄の傷痕」では、知念光男が基地一二年の「これ以上耐え忍ぶことのできない、ぎりぎりの生活の底からのうめき声」としての短歌を伝えた。一九五八年三月〈沖縄の歌と現実〉特集は、吉田漱による沖縄の歴史・政治・経済の現状と歌壇についての丁寧な解説と作品集を収めた。当時の編集人の杉山正樹は、「ジャーナルの上でやや置去りにされがちな沖縄の諸問題を島民の切実な“地の声”を中核として」企画したと記している。短歌紙誌にあっては、一九七二年の復帰まで、あくまでも「海外」扱いの沖縄であった。それ以降も、「沖縄県」は都道府県の一つとしての扱いが続いた。
戦後七〇年にあって、「本土」の人々、「本土」の歌人の反応はどうであったろうか。「沖縄」を見つめることは、「日本」の近代と向き合うことでもある。沖縄本来の姿を取り戻すことが日本の国の行方を質すことにもなる。短歌を詠み、短歌を読むとき、みずからの「内なる沖縄」を問い続け、具体的な一歩を踏み出さなければならない。「辺野古を守れば日本が変わる」とは、冒頭のパネリストの一人、影山氏の言であった。(『現代短歌』2015年9月号収録)
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<短歌雑誌・新聞の戦後70年の特集>展望
とりあえず私の目に触れた範囲ながら、列挙してみると以下の通りである。それぞれ特色はあるが、そのテーマと執筆者の選択が興味深い。
『短歌』8月号
特別企画・戦争の肉声~若き歌人に伝えたい戦争/インタビュー岩田正(聞き手永井祐)
『短歌研究』8月号
戦後七十年をふりかえる
戦後短歌を支えた名歌(篠弘)「短歌研究」戦後復刊号を読む(三枝昂之)七十年の孤独(川野里子)
「女人短歌」ののこしたもの(花山多佳子)青年歌人会議のころ(森山晴美)私と「ジュルナール 律」(村木道彦)まぼろしの「極」二号を復元する(島内景二)寺山修司のいる風景(福島泰樹)短歌に刻印された安保闘争(道浦母都子)文化的想像力いま何処(来嶋靖生)『サラダ記念日』を
めぐって(荻原裕幸)象徴としての終焉(大辻隆弘)「阪神淡路大震災」をうたうこと(尾崎まゆみ)シンポジウム「いま、社会詠は」をめぐって(松村正直)短歌の「リアル」とはなにか(石川美南)「原発詠」のわたそ(高木佳子)「復帰」への想い(屋良健一郎)戦後七十年年表(大井学)巻末付録「短歌研究」昭和20年9月号
『うた新聞』8月10日号
短歌で問う<日本の戦後>
戦後七十年の短歌(水野昌雄)真の<戦後元年>に向けて(木村雅子)沖縄(玉城洋子)朝鮮戦争(花山多佳子)自衛隊(菊池東太郎)第五福竜丸(曽根耕一)原発h・核開発(杜沢光一郎)
日米安保条約(日米地位協定)(久々湊盈子)ベトナム戦争(大林明彦)三島事件(一ノ関忠人)
湾岸戦争(尾崎まゆみ)イラク戦争(川本千栄)
『現代短歌新聞』8月9日号
わたしの八月十五日
五首とエッセイ(青木ゆかりほか計37名)
『歌壇』8月号
戦後七十年、被爆と被曝を考える
見返すまなざし(吉川宏志)かく立てられる強烈なイメージ(相原由美)いく筋の「とこしへの川」(大石直孝)いま、だれが問われているか(加藤英彦)ほか、西田郁人、前川明人、三原豪之、山本
光珠、馬場昭徳、立花正人、波汐国芳、三原由紀子のエッセイ
『歌壇』9月号
戦後七十年、私の八月十五日
エッセイ(穴沢芳江、井上美地、尾崎左永子、上川原紀人、来嶋靖生、木下孝一、久保田幸枝、椎名恒治、永田典子、橋本喜典、藤井治、結城文、四元仰)
『現代短歌』9月号
二〇一五年夏 今歌人として考えること
「中途半端な田舎」にて(今井恵子)一歩を踏み出す(内野光子)キマイラ文語(川本千栄)荒廃の夏―70年目の夏に思うこと(三枝浩樹)道を歩き、月を眺める(坂井修一)七月十五日前後に考えたこと(澤村斉美)添削再考(真野少)この夏に思うこと(道浦母都子)里山林とドングリ(森垣岳)