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Channel: 内野光子のブログ
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雨の霞ヶ浦~吉崎美術館の高塚一成個展と予科練平和記念館と(1)

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水郷大橋を渡る

 地元の「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」の代表である高塚一成さんの油彩展(2015102日~113日)が行方市の吉崎美術館で開催中である。今月の第2日曜の例会は、その美術館で開こう?ということで、久しぶりの遠出となった。高塚夫妻の先頭車両に続き、3台に分乗した11人、私たちの車は運転のMさんと3人、女性ばかりのおしゃべりで盛り上がる道中だった。あいにくの雨ながら、佐倉、成田を抜け51号線に入り、北上するが、渋滞もなく、水郷大橋を渡れば茨城県潮来。小降りになったところで、北利根橋を渡って永山交差点で左に折れて355号線に入った。

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北利根橋を渡ると

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355号線に入った

 私の知っている水郷大橋は、佐原での2年以上の疎開生活で、毎日遠くから眺めていた長い頑強そうな鉄橋であった。母の生家が佐原の岩﨑で、まずは次兄が縁故疎開で、つぎに母と私が身を寄せ、池袋の家が1945413日夜の空襲で焼け出されてからは、父と長兄も加わり、一家5人の疎開生活が始まっている。当時、幼い私が眺めていた鉄橋とポプラが群れ立つ風景は、衣食住がままならず、街の和菓子屋さんの芋羊羹がのどから手が出る程欲しかった、そんな過酷な暮らしのなかで、どこか憧憬にも似た、やさしさを漂わせていた。あの橋は、1936年に完成したもので、1977年に300mほど上流に架けられた現在の水郷大橋ができて、その役目を終えたという。その後、佐原には何度か来ているが、新しい水郷大橋を渡るのは、この日が初めてだった。
 355号線を進むと右側に、小さな吉崎美術館の案内板が見えてきて、曲がるとすぐに一乗寺という寺の山門だけがまるで道端に転がるように建っていた。さらに、山道を進むと、とんがり屋根の赤い壁の瀟洒な建物が見えてきた。車を下りれば雨も上がり、あたりの緑に、庭の柿の赤い実が際立っていた。

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吉崎美術館い向かう

具象画を前に、麻生高校美術部の伝説の人!

 美術館のオーナーの吉崎才兵衛さんは行方(なめがた)の出身の画家、高塚さんは、潮来(いたこ)出身で東京芸術大学に進んで、活躍する画家だ。このたび、昨年4月にオープンしたばかりの吉崎美術館で個展の運びとなったという。館内は、木の香がただよう明るい雰囲気で、吉崎さんご自身の作品とコレクションの一部が展示されている部屋と企画展の部屋に分かれ、それに大きなテーブルがデンと控えた、おしゃべりをしたりお茶の接待まで受けたりしたスペースがあった。連休初日のこの日は、高塚さんの地元のお知り合いが何人か訪れていて、その対応にも忙しそうだった。「私の絵は、具象なので、ともかく自由に見てください」と言いながらも、忙しい合い間を縫って、私たちにはみずからの作品の解説をしてくださった。

 たしかに写実ではないので、鑑賞する人の想像力、いや創造力が問われるのだろうけれど、話を聞いていても、狭まることなく、その世界が広がるから不思議である。「鎮魂―四つの最後の歌より」と題する大作は、題とはかけ離れ、実に明るい色調のなかに捕えられた鳩が自ら解き放たれようとしているようなメッセージが伺われたが、その作品の意図を聞きもらしてしまった。また正反対の「沼―凍てつくような寒い朝」と題された作品は、完成までに4年を要したという大作だった。私の貧しい経験からは、佐倉が、福島原発事故の放射線量がかなり高いホットスポットと言われていた時期、一度ならず放射線量を調べ、測定について回ったときの、印旛沼を思い出していた。今回の、16点のなかで、もっとも心ひかれたのは、「夕暮れ」と題する小品だった。どこの水辺とも分からない、河なのか沼なのか静かな水面の対岸とその空が描かれているが、ほとんどモノクロに近い、淡い色調に奥行きが思われ、茜や朱はどこにもあらわれない意外性にも納得するのだった。

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中央が「沼」

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「夕暮れ」

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 展示室を出たところの掲示版に、今回の個展のポスターがあるのに気が付いた。「麻生高校美術部 伝説の人」との添え書きがしてあった。吉崎さんが問わず語りに、話されたのは、美術部の部室には高塚さんのデッサンが掲げられ、後輩たちの憧れでもあり、目標にもなっていたということで、今回の個展にも多くの後輩たちが駆けつけているとのこと。高塚さんの人柄を彷彿とさせるエピソードであった。
 吉崎さんご自身の作品や同郷の村山密の作品にも初めて接しすることができ、ホッコリする気分にもなったのである。そして、潮来の牛堀は、早世したので、私は会うことがなかったのだが、私の父の父、祖父の出身地でもあり、私も、幼いころ、父に連れられて、一度だけ同姓の遠縁のお米屋さんを訪ねたことがある。ダットサン?に乗ってお墓参りをした記憶もよみがえる。お米屋さんはいまでもあるのだろうかと、吉崎さんにたずねてみたところ、そうそう、そのあたりに詳しいのが来ているよと、手招きしてくれたのは、町役場に勤めていたという方だった。「同姓の家は結構あるが、40町歩の〇さん?それとも、米屋となると、あそこかも知れない。もう米屋はやめて、新しい事業をしているが・・・」とのことで、「もっと早くに来れば、年寄りに遇えたかもしれん・・・」と残念がってくださった。

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美術館オーナーの吉崎才兵衛さんの作品


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