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Channel: 内野光子のブログ
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ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗「歌壇」選者に

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 きのうの「しんぶん赤旗」(20151228日)によると、また、一つのサプライズがあった。短歌という狭い世界の話になるが、来年から赤旗「歌壇」の選者の一人に今野寿美がなったというお知らせである。私としては「ああ、やっぱりここまで来たか」との思いなのである。これまで、私は、著書やこのブログ記事でも「歌会始」が、「歌会始」の選者たちが、表に裏に、日本の歌壇をいかに牽引してきたかを、幾度も述べてきた。それは、やはり、現代短歌が当然のように「天皇制」の呪縛から解かれていないことを意味していた。今野寿美は、今年2015年の歌会始の選者として、2014年に、岡井隆の辞めたあと、代わる形で就任していた。すでに2008年からの歌会始選者、三枝昂之の妻である。夫婦での選者は永田和宏・河野裕子に次いで、2例目であった。その今野寿美が赤旗「歌壇」の選者になるという。歌会始の選者が赤旗「歌壇」選者になるのは初めてのことだ。これは、「赤旗の勝手、今野寿美の勝手でしょ」で済む問題なのだろうか。

 先の共産党の国会開会式出席表明にしても今野寿美の赤旗「歌壇」就任にしても、「共産党もそこまでやるか、変わったもんだネ」と通り過ぎていいものだろうか。少し遡って、昨年7月の「安保法案」の閣議決定から国会審議、「強行採決」がなされた以降、ともかく「戦争法案」「戦争法」に異を唱え始めた文化人や研究者、芸能人たち、かつての自民党OBたちをも、しきりに“著名人”を動員して、持ち上げ、盛り上げようとした。過去の言動には目をつぶってでも、目前の取り込みに必死な姿勢が顕著なのだ。そんな風潮に「おかしい」と少しでも異を唱えると「無視」をするという形で、排除するのが、一貫したやり方だ。開かれた、多様な論議を前提とする「自覚的」民主主義政党のやることなのだろうかな、とも思う。さまざまな形で盛り上がってきた市民運動を取り込もうとしている姿勢も露骨になってきた。となると、むしろそこから離れていく人も少なくはないのではないか。

 さらにさかのぼると、短歌の世界では、1993年からの歌会始選者に岡井隆の就任が決まったときは、あの前衛歌人がといって歌壇に衝撃が走ったものである。「体制も反体制もない、天皇制は変わった。歌会始とて短歌コンクールの一つに過ぎない」と言って宮廷の人となった。なかには、岡井が属する短歌結社から離れた同人も現れた。2004年、共産党が「綱領」を改めて、上記のように非常にあいまいな形で「現在の天皇制を維持する」することになったらしい時期に、三枝は、『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店 20057月)を出版し、他の幾つかの賞と同時に第56回芸術選奨文部科学大臣賞(評論その他部門)を受賞し、前述のように2008年から歌会始選者となり、20116月には、紫綬褒章を受章している。2014年には、岡井隆に代わり日本経済新聞歌壇選者、現在は、日本歌人クラブ会長にも就任している。彼は、1970年代、早稲田大学闘争に参加、大学紛争世代の歌人として、第1歌集『やさしき志士達の世界へ』(反措定出版局、1973年)をもつてスタートしている。その後の歩みについて、歌壇のリベラル派とも言われた故小高賢によって「年齢による自然な流れというより、意識的なハンドルの切り替えと言ってもいいだろう。背景には現代への認識と歌壇状況への判断があるにちがいない。〈歌会始〉の選者に就任することなども、三枝の時代認識なのだろう」(小高賢編著『現代の歌人140』 新書館)と、ソフトランディングな物言いがされている。また、2009~2010年、永田・河野夫妻が歌会始選者になったときの歌壇の反応については、拙著でも触れ、ブログ記事にしている。すでに闘病中だった河野裕子の選者起用についても、岡井や永田らに、その「就任」の私物化にも似た動向があったらしい。翌年の選者に就任後、1か月余りで他界しているのだ。今野にしても、「歌会始」選者の肩書を恣意的に使い分けているのをしばしば見受けられた。赤旗のきのうの紹介記事には記されていなかった。赤旗の今回の選択は、「象徴天皇制」を民主主義と平等原則に反すると「綱領」に記しながら、象徴天皇制の文化的なイベントと称される「歌会始」に加担することにならないのか。

 また、共産党と友好関係にある『新日本歌人』『短詩形文学』などでも、「歌会始」について、真剣に論じられていた時代もあった。1988年に『短歌と天皇制』、2001年『現代短歌と天皇制』(ともに風媒社)を出版したころには、一般の新聞・雑誌、短歌雑誌などでも多くの書評をいただいた。2013年『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房)の出版時は、前二著の場合とその反響はまるで違っていた。歌壇の中核には歌会始の選者やその側近、芸術院会員はじめ国の各種褒章の受章者とその側近がひしめいているので、そこへ手を突っ込む短歌ジャーナリズムは皆無に等しく、短歌と天皇制、短歌と国家権力は、歌壇のタブーになろうとしている。

 しかし、そんな風潮を早くよりキャッチし、警鐘を鳴らし続けている歌人もいる。そして、この年末になって、佐藤通雅は、拙著3冊をあげて「果敢にタブーに踏み込んだこれだけの作業を、見て見ぬふりをいいのかと義憤の念にかられて、私はいくつかの文章を書いてきた。近代になってからの天皇制の変遷、また歌会始の歴史が、内野によってかなり明らかになったのだ。とはいっても、全面的に賛意を覚えているわけではない」との紹介をされた。私がいう「天皇・皇后の被災地訪問は、政府や企業あるいは自治体の被災地・被災者対策の不備を補完する役割」とするに加えて、佐藤は、「補完の域を脱した、内部からの抵抗を感じることが何度もある」「為政者への無言の異議申し立て」である、といった異論などをもさしはさみながら、「いずれにしても、選者になったとたん黙して語らないのも、周りが見て見ぬふりをするのも不健全にはかわりはない。タブーはもう脱ぎ捨てて、さまざまな角度から意見を出し合い、問題を共有していくことを私は望んでいる」と結論付けた(「歌の遠近術12短歌と天皇制への視点」『短歌往来』201512月)。この論評を、阿木津英は「(内野の)業績を正当に認めることを<自主規制>する歌壇に義憤の念にかられてあえてとりあげた」と紹介している(「局部集中現象と自主規制」『現代短歌』20161月)。また、若い岩内敏行は、「二〇一五年は時代の危機が叫ばれた年だったが、象徴天皇制となった後の、短歌と天皇制の関係もまっすぐに議論する場面に来ているだろう」と佐藤の論評を紹介した(「評論月評」『短歌往来』20161月)。こうした発言が続くなかでの、共産党の国会開会式出席への転換、歌会始選者の赤旗歌壇選者就任は、決して無関係ではなかった。これがきっかけとなって、文芸と天皇制への問いかけが始まる2016年になることを期待したい。

 なお、雑誌『女性展望』(市川房枝記念会女性と政治センター出版部 20151112月号)には、「戦後70年 ふたつの言説は何を語るのか」を寄稿するチャンスを与えられた。ここでは、今年814日の「安倍談話」と815日全国戦没者追悼式での天皇の「おことば」について論じたので、いずれブログに紹介できればと思う。

 

 

 


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